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The Beatles Story
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01. Please Please me (1963)
02. With The Beatles (1963)
03. A Hard Day's Night (1964)
04. Beatles For Sale (1964)
05. Help !
Let It Be (1970)
株式会社This Company
〒000-0000 東京都港区神道123
Tel: (123) 456-7890
The Beatles Story 1963 前半 02/11~
《 待望のNo,1ヒット曲「From Me To You」 》
ビートルズ・セカンド・シングル「Please Please Me」は、イギリス・メロディー・メーカー紙ではビートルズにとって初のナンバー・ワン・シングルとなりますが、イギリスのレコード・リテイラー誌(後のミュージック・ウィーク誌)では1位を獲得することができません(3位)。
ビートルズは実質のNo,1ソングを目指し、サード・シングル「From me To Yuo」の制作・録音に入ります。
「From Me To You」の録音は、1963年3月5日アビイ・ロード第2スタジオで録音が開始されますが、その前に、前回「Please Please Me」同様、 少しこの曲の特徴を書いてみたいと思います。
この曲のメロディそのものはかなりブルージーにも拘らず、ハーモニカの挿入によりポップな曲へを変身しています。
これはジョジ・マーティンのアイデアなのでしょう。
また初期のビートルズの特徴であるフォルセットの「ウ~♪」は聴きどころで、彼らのこの「ウ~♪」は、この曲から首を振り始めています。
この「ウ~♪」の音は、GとBで、通常一気にこの音に行くには、練習が必要です。
イントロの「ダダダーダダ、ドゥンドゥンダー…」をジョンとポールが歌い、ギターとハーモニカも同じように演奏されます。
言いかえれば、メロの導入をもじった2つの歌と同じフレーズで演奏される楽器(ギター・ハーモニカ)の4つの音が一つのメロディとして飛び出し、いやおなしでもイントロから聴く人を引き付けます。
このパターンは、この曲の間奏でも使われますが、間奏ではボーカルが入らない分、低音部でもう一本のギター音らしきものが入ります。
ただし、この音はレギュラーチューニングのギターでは出すことのできない低さで、ライヴではベースで弾いていることから、録音時はベースのオーバーダブを行ったと思われます。
このベースは一音一音かなりの延ばしながら丁寧に弾いているので、ギターの音色に似た感じに聴こえてきます。
ボーカルに関しては、ジョンとポールがデュエットで終始歌い、スタートから同じ音での単音パートとハーモニー・コーラス部分の和音パートを上手く組み合わせ、1回目のサビではハーモニーにせず、2回目はハーモニーにし、付きつ離れつのコーラス構成で組み立てています。
このような組み立てをすることで、ビートルズは曲を生き物に変えてしいます。
このコーラスは、今では当たり前のように行われている歌唱法になっていることを考えると、ビートルズはこの分野でも後のミュージシャンたちに多大な影響を与えたと云うこととなります。
この曲でもジョンとポールの高低音パートの入れ替わりがあり「I can do」がその部分がそれに当たります。
これはメロディを先に作り、ハモを後で作った時によく起こる現象で、それならば偶然の産物になりますが、ビートルズ場合は意図的に行ったのではないかと思われます。
ジョンとジョージのギターに関しては、あまり目立たないものの、ジョンのアクセントをつけたストロークを基本に、ジョージはイントロ、間奏、アウトロで、やや目立ち気味の演奏をしています。
またこのジョージ後のギターは、サビの部分でG ⇒ Gaugと変化させ、2分音符と2拍3連のストロークでリンゴの速いフィルの合わせ、次へと繋げています。
エンディングの「To you,to you」では、Am ⇒ AmM7と下がり、すぐに冒頭のパートを繰り返します。
これはお得意のクリシェで、エンディングの終わりにはAmを一発ジャラ~ンと鳴らし、このポップな曲は、ブルージーさを残しつつも終わりを向かえます。(『ビートルズ大研究』抜粋参照)
《 From Me To You / Thank You Little Girl のレコーディング 》
ジョージ・マーティンは語ります、「ブライアンと私はビートルズに関する計画を立ててね、3ヵ月ごとにニューシングル、半年に1枚のペースでアルバムをリリースすることにしたんだ。必ずしもその通りにはいかなかったがね。それで私はしょちゅうビートルズに『またヒット曲を作るんだ!さあ、ヒット曲を作ってくれ!』と言っていた。彼らはちゃんとそれに応えてくれたよ。"From me To You" "She Loves You" "I Want To Hold You Hand"--最初の頃から、出す曲出す曲ヒットした。」。
1963年3月5日ビートルズは、3枚目のシングル「From Me To You」のレコーディングのためにE.M.I.スタジオに入ります。
この曲「From Me To You」はヘレン・シャピロの前座を務めるUKツアーのバスでの移動中の2月28日に書き上げてたもので、その日はレコーディング予定日の5に前に当たり、ビートルズはマーティン達が立てた計画を守ろうと奮闘します。
この日は、午後2時30分~午後5時3分、そして午後7時~午後10時の2回のセッションが行われ、初めのセッション(午後2時30分~午後5時3分)ではニュー・シングルの両面となる「From Me To You」と「Thank You Girl」のレコーディングです。
ビートルズの演奏はライヴ形式で行われ、ボーカルと楽器を同時に録ると云う方法で進められます。
「From Me To You」は、6テイク録音した後、ハーモニカとギター・ソロ、イントロのハーモニーボーカル用のパートを6テイク録音します。
ビートルズはイントロ部をギター・ソロにしようと考えますが、ジョージ・マーティンのアドバイスで、ボーカルとハーモニカの絡みに変更します。
当時のディスク・カッター担当のマルコム・デイヴィスは語ります、「あの頃はミュージシャンがカッティング・ルームになんか来ることはまずなかったのに、ジョンは僕に会いに来たんです。彼は『ハーモニカを貸してくれ、面白いサウンドになりそうだから』とね。しばらくしてハーモニカを返しに来た時は『ジャガイモ袋みたいな味がした』と言ってましたよ。」。
B面の「Thank You Little Girl (後の『Thank You Girl』)は、6テイクとエンディング・ギター用パートを7テイク(計13テイク)録音し、その中から第6テイクと第13テイクを編集し、ベストテイクが作られます。
2曲のレコーディングが終わり、1曲分のレコーディング時間が残っているのを知ったビートルズは「One After 909」の基本テイクを4つと、中間部から始まって最終部まで続く短い編集用テイクを1つ録ります。
4つの基本テイクの内、最後まで演奏できたテイクは1つだけで、後は全て中断されたもので、リリースできるレベルでは無く、ボツにされますが、この日の録音の編集バージョンが1995年に「アンソロジー1」で公開されます。
その後ビートルズは1969年の『Let It Be』のセッション時にこの曲のニュー・バージョン録音し、アルバムの収録曲とすることとなります。
1963年3月5日、午前中にロンドンに到着したビートルズは、「From Me To You / Thank You Girl」のレコーディングの前に、アルバム『Please Please Me』のアルバムカバーのデザインと宣伝用写真を、E.M.I.職員カメラマン「ジョン・ダヴ」により撮影されます。
「フォト・セッション E.N.I.ハウス」
写真は、E.M.I.ハウスの屋外の鉄製非常用階段の上で撮られ、ジョージ・マーティンと音楽出版社のディック・ジェイムズがビートルズと一緒に写る様子も撮られます。
「フォト・セッション モンタギュー・スクエア」
写真は、E.M.I.ハウスの撮影に続き、モンタギュー・スクエアに移動し、パーキングメーターにジョンがメガネをかけ、それを囲むビートルズを撮ったものです。
「フォト・セッション E.M.I.スタジオ」
ビートルズは、E.M.I.ハウス、モンタギュー・スクエアに続き、E.M.I.スタジオに移動します。
写真は、E.M.I.スタジオの玄関階段で撮られたものです。
「フォト・セッション E.M.I.スタジオ・Canteen」
ビートルズは、E.M.I.ハウス、モンタギュー・スクエアに続き、E.M.I.スタジオに移動します。
写真は、E.M.I.スタジオの玄関階での撮影後、社員食堂にて撮られたものです。
「フォト・セッション E.M.I.スタジオ "From me To You / Thank You Girl"のレコーディング」
ビートルズは、E.M.I.ハウス、モンタギュー・スクエアに続き、E.M.I.スタジオに移動し、玄関階段、社員食堂にて社員撮影をし、「From me To You / Thank You Girl」のレコーディングに臨みます。
写真は、「From me To You / Thank You Girl」のレコーディング模様です。
《 ビートルズイギリス公式盤3枚目オリジナルシングル「From Me To You / Thank You Girl」リリース 》
「From Me To You / Thank You Girl」は、アルバム『Please Please Me』の発売から3週間後の1963年4月11日にリリースされたビートルズ3枚目イギリス公式盤オリジナル・シングルで、アルバムと共に売り上げを伸ばし、1963年5月2日付けの全英シングルチャートで1位に輝きます。
ビートルズの公式記録として全英1位になったのはこれが最初で、トップの座を7週連続獲得します。
A面の「From Me To You」は、女性シンガーヘレン・シャピロと一緒にまわったコンサートの終了間際にジョンとポールによって作られもので、ラヴ・ソングというよりはファンに対する感謝の意味が込められており、「ツアー移動中のバスの中で暇つぶしに書いた。」とはジョンとポールは語ります。
ジョンは語ります、「あまりにブルース調過ぎるので最初は発表しないつもりだったが、ハーモニカを加えてビートルズらしくなったのでシングルで出すことにしたんだ。」。
ポールは語ります、「ミドル(サビ)の部分でマイナー(Gm7)に変るんだけど、これは大きな進歩だと思った」。
B面の「Thank You Girl」は、元曲名が"Thank You, Little Girl"で、A面同様ジョンとポールにより作られ、数多くの女性ファンに捧げる曲として書かれます。
ポールは語ります、「僕らは"Thank You Girl"っていう題の曲を書けば僕らにファンレターをくれる女の子たちに本当のありがとうを届けられると分かっていたんだ。だから僕らの多くの曲はファンに直接届いた。」。
《 ビートルズイギリス公式盤ファースト・。オリジナル・アルバム『Please Please Me』リリース 》
<アルバム『Please Please Me』のレコーディング>
ビートルズイギリス公式盤オリジナル・デビューアルバム『Please Please Me』は、3枚目シングル「From Me To You / Thank You Girl」が発売される3週間前の1963年3月22日にリリースされます。
このアルバムのレコーディングは、1963年2月11日に行われ、音楽録音史上、これほど実りの多い「585分」は他には無く、ビートルズはファーストLP用の新曲10曲をたったこれだけの時間内に録音したのです。
ジョージ・マーティンは語ります、「シングル盤“Please Please Me”が成功したからには、商業的見地から、なるべく早くLPを出さなければならなかった。すぐにレコーディング出来る曲がどのくらいあるか、彼らに訪ねたんだ。答えはステージ用のレパートリーだったよ。」
(レコーディング・シート - E.M.I. Studio 2, 10.00 am - 1.00 pm) < There's A Place - take 1~10 I Saw Her Standing There - take 1~9 >
ジョージ・マーティンが彼らから受け取った言葉、「今の僕たちのレパートリーはステージ用の曲だけだ。」・・・。
1963年2月の時点で、ビートルズのステージ用の演奏は非常に磨き抜かれたもので、それは今では考えられないようなライヴ・ギアを1960年半ばから休みなく毎日こなしてきたからで、彼らの自信の裏付けともとれる答えと云えます。
とは云え、ビートルズに与えられたこの日のレコーディング時間は、10時~13時までと14時30分~17時30分の2回のみで、記録に残っている3回目の19時30分~22時30分のセッションは後で付けたされてものに過ぎません。
ジョージ・マーティンは語ります、「彼らの声が出なくなるのを恐れ、10時間以内に10曲を取り終えようと考えた。」。
これは危険な綱渡りで、観測史上もっとも寒い部類に入る冬の間中、国内のあちらこちらで巡業してきたグループである「ビートルズ」は、当日レコーディングが始まる前からすでに肉体的にコンディションも悪く、ジョンに至ってはひどい風邪をひいている始末で、現存するセッション・テープでもテイクの合間の雑談でジョンがそのことに触れていることが確認できます。
ノーマン・スミスは語ります、「菓子屋にあるような大きなガラス瓶に詰めたザブスと云うのど飴がピアノの上に置いてあったよ。そのくせ、その隣にはピーター・スタイヴサントと云う煙草の大きなカートがあって、風邪をひいているジョンも含め彼らはそれを引っ切り無しに吸っていたんだ。」。
1963年2月11日、E.M.I.第2スタジオで10時~13時のセッションで録音されたのは”There’s A Place”と”Seventeen”の2曲、どちらもLennon=McCartneyの作品で、”Seventeen”はLPのトップを飾るノリのいいナンバーである”I Saw Standing There”の仮タイトルです。
正規盤で聴くことのできる”I Saw Standing There”は、第1テイクの冒頭に、第9テイクのカウント部分を編集したものですが、95年発表の”Free As Bird”ではその第9テイクのサイズを聴くことができます。
「Seventeen」のレコーディングは第9テイクまで一旦録音され、その9テイクの内、完全に演奏されたのは3テイクで、午後からのセッションで、ベストだと判断された第1テイクにハンドクラップのオーバーダビングを施しそれを最終テイクとして採用し、そして第9テイクの冒頭に収められたポールのカウント(ワン、ツー、スリー、フォー!)を編集でつなぎ合わせ、この曲は完成に至ります。
そして、「There’s As Place」のレコーディングは、午前中にベーシックトラックをまず10テイク録音し、午後のセッションで10テイク目にハーモニカをオーバーダビングし、この曲は完成に至ります。
使用楽器は、双方ともジョンのRickenbacker 325、ジョージのGretch DUO JET、ポールのHofner Bass 、リンゴのPremier Drum set と云う構成で、後者にはハーモニカも入ります。
その後、ランチタイムが巡ってきますが、ビートルズは昼食など摂らず、録音を続けようとします。
E.M.I.エンジニアのリチャード・ランガムは語ります、「休憩してくれと言ったら、彼らはこのままリハーサルを続けたいと言うんだ、それでジョージとノーマンと僕は、近所のヒーローズ・オヴ・アルマと云うパブに行って、パイとビールの昼食を摂ったんだけど、彼らはスタジオに残ってミルクを飲んでいた。僕らがスタジオに戻った時も、まだ練習していたよ。昼飯抜きで働くグループなんて見たことなかったよ。」。
<写真センター:Engineer:Richard Langham (リチャード・ランガム)>
後にジョンは語っています、「ファースト・アルバムのレコーディングは、12時間ぶっ通しのセッションだった。本当のレコーディングはこう云うモノなんだと感じた。12時間で仕上げねばならなかったのは、僕たちにそれ以上のお金をかけて貰えなかったからなんだ。このレコードで良かったことの一つは、エコーなしで録音したことだ。エコーが出始めた頃で、僕らはそんなものを使える余裕がなかった。余裕ができた頃にはもうそんなもの好きじゃなかった。だから、ステージでは一度も使ったことがない。使わなくて良かったよ。使っていたら、きっと他のグループと似たり寄ったりのサウンドになっていただろう。あのレコードでは、生の雰囲気を出そうとしたんだ。ハンブルグやリヴァプールではあれに近い音だったんじゃないかな。それでも、オーディエンスがビートを合わせて足を踏み鳴らす、あのライヴの雰囲気は出ない。だけど、『お利巧さん』のビートルズになる前のサウンドには、これがいちばん近いだろうね。(書籍『Anthology』抜粋参照)抜粋参照」。
午前中からぶっ続けで進められるセッションは、午後に突入します。
まずは、ポールが歌う「Taste Of Haney」から始まります。
この曲は1960年に上演された同名の芝居の挿入歌で、ビートルズは合計7テイク録音し、その5テイク目にポールとジョンのコーラスをオーバーダブし第7テイクがベストと判断し採用とします。
このアルバム中唯一のダブルトラッキング処理(あるテイクをわずかずらして別のテイクにコピーすること)を施した曲で、この手法は、より分厚いサウンドを生み出すためのもので、ビートルズのヴォーカル録音ではこの手法が多用されていくようになります。
続いて「Do You Want To Know A Secret(Lennon=McCartney)」の録音が開始され、7テイク録音、そしてベストと判断された第6テイクにハーモニーとドラムスティック同士を打ち合わせた音を重ねた物を第8テイクし、第1テイクに手拍子をオーバーダブしたものをベストとし、ビートルズは次の曲「Misery(Lennon=McCartney)」のレコーディングに入ります。
この曲はジョンとポールがヘレンシャピロに書いた曲で、彼女が歌わなかったためビートルズの曲としてジョンとポールがともにリード・ボーカルをとることとなります。
通常のテープスピードが15ipsのところを、これは30ipsで録音されます。
これは、後日にピアノをオーバーダビングする事があらかじめ決められていたからで、こうしておくとピアノのレコーディングの際に1/2の速度で録音できると云うことになります。
このピアノはジョージ・マーティンにより、1963年2月20日、ビートルズメンバー不在の中オーバーダビングが行われることになります。
ジョージは語ります、「僕らはずっとビリビリしてたよ。レコーディングするにも、その前に全曲を通すんだ。僕らがちょっと演奏すると、ジョージ・マーティンが言うのさ、『よし!他に何かある?』って。『ドゥ・ユー・ウォント・ノウ・ア・シークレット』は、このアルバムの中の“僕の曲”だったんだよ。この曲の自分のボーカルが気に入らなかった。"Listen, do da do, Do you want to know a secret? do,da do,Do you promise not to tell, whoa oh, oh"『ねえ、秘密を知りたい?喋らないって約束できる』ってさ。このセッションを振り返ると、ひょっとしたら“ゴフィン&キング”の『キープ・ユア・ハンズ・マイ・ベイビー』をやったように思う。この曲は“リトル・エヴァ”が『ロコ・モーション』の後に出した曲なんだ。時々、曲を覚えたりするのも1~2回やってやめちゃうことがあったんだよ。こんな曲も僕らのレパートリーだったからね。(書籍『Anthology』抜粋参照)」。
ビートルズは、午前中からぶっ続けでレコーディングし、午後に突入、そして夜になり、さらに進めていきます。
ポールは自作の「Hold Me Tight」でリード・ボーカルをとりますが、録音された13テイクの内、完全ヴァージョンは2テイクのみで、ボツになったテイクが5つ、未完成のテイクが1つ、それにテープ編集用のテイクとなり、結局マスター・ヴァージョンは、第9テイク及び第13テイクを編集して行われることになります。
しかし、この曲の編集作業は実際には行われず、この時点ではリリースされずに終わります。
このテープはもはや存在していませんが、ビートルズはこの後にこの曲をリメイクし、セカンドLPに収録させます。
このあと、彼らは5曲のカバー・ヴァージョンを猛然と吹き込みます。
まずは、ジョンのリード・ボーカルによる「Anna」、これはアーサー・アレクサンダーの曲で、3テイクで完成、続いてリンゴが初めてボーカルをとる「Boys」、これはシレルズの曲で、1テイクで録音を終えますが、エンディングのフェードアウトにする作業が2月25日のリミックス段階で行われます。
次にジョン、ポール、ジョージの3人が歌う「Chains」、これは当時のクッキーズのマイナー・ヒットで、かつてジョン・レノンとポール・マッカートニーのソングライティング(Lennon=McCartney)に多大な影響を与えたブリル・ディング・チーム「ジェリー・ゴフキン&キャロル・キング」の共作です。
この曲は4テイクを録り、ベストは第1テイクで、やはりリミックス段階でエンディングをフェードアウトしています。
引き続きジョンがボーカルをとるシレルズの「Baby It's You」を3テイク録音します。
そして、レコーディングは午後10時に差し掛かります。
リンゴは語ります、「僕の場合、あのアルバムはやるまでの時期とかセッションとか、全てがぼやけちゃっててね。それにアルバムそのものも、はっきり覚えてないんだよ。ファースト・アルバムのリハーサルはしなかった。僕の記憶では「ライヴ」で録ったんだ。まず全曲を通してやって、それぞれの曲のサウンドをある程度つかんで、その後はひたすら曲をこなしていた。(書籍『Anthology』抜粋参照)」。
アルバム『Please Please Me』のレコーディングは、既に午後10時を回ろうとしており、それはスタジオを閉める時間でもあります。
しかし、後1曲足らず、全員がE.M.I.スタジオの簡易食堂に行き、コーヒーを飲みにビスケットをつまみながら、その最後の1曲をどの曲にするのかを話し合います。
何曲か候補があがり、友好的な議論がなされます。
その結果についてノーマン・スミスは語ります、「ジョンのリード・ボーカルで“Twist and Shout”をやろうって誰かが言いだしたんだ。でもその時はもう、みんな声を使い過ぎて喉をだいぶ痛めてたんだ。セッションを始めて12時間も経ったんだからね。特にジョンは声を完全に潰す一歩手前だった。だから本当に一発録りで決めるしかなかった。それでビートルズはスタジオに、僕たちはコントロール・ルームに戻った。ジョンはまたのど飴をいくつか口の掘り込み、ミルクでうがいをして、いざ本番に入ったんだ。」
この第1テイクでジョンが歌ったものを、私たちは今日でもレコードで耳にしているわけですが、これほど迫力のあるロックンン・ロール・ボーカルとインストゥルメンタル・パーフォーマンスは、他にはちょっとないでしょう。
ジョンが声を振り絞って歌うこの2分半の曲は、大きな安堵のため息を持って終わります。
午後10時を回り、ビートルズはファースト・アルバムを完成させます。
ジョージ・マーティンはあの晩のことを振り返ります、「私は彼らが何をやれるかは把握するためにキャバーンに行った。彼らのレパートリーを知り、演奏できる曲目を知っていた私は彼らにこう提案した、『君たちが持っている曲を全部やろう。スタジオに下りて来なさい。何とか一日で演奏してみよう』。午後11時頃に始めて、夜の11時頃までーーその時間内で、アルバムまるまる一枚録音したんだよ。ビートルズは最初、レコーディングに関してあまり意見を言わなかった。彼らがスタジオ・テクニックに興味を持ち始めたのは、1年目が過ぎてからだよ。しかし、彼らの凄さは、この時から常にきちんとしたものを作りたいと思っていたことだよ。だから、作業は1テイクでは終わらなかった。最初のテイクを聴き、それから2~3テイクやって、納得できるものを仕上げた。時間をたくさん掛けて何テイクも録り直しをゆるされるようになるのは、もっと後になってからだ。「ツイスト・アンド・シャウト」が凄く咽喉に負担をかけることは分かっていた。私はジョンにこう言ったんだ、『この曲をやるとしたら、最後にしよう。これを先にレコーディングしたら、その後声が出なくなってしまうかもしれない』って。話し合いの結果もあるが、この曲はそう云う理由であの晩の最後の曲に回したんだ。2テイクやると、ジョンは全く声が出なくなった。だが、あのレコードはあれで良かったんだよ。ああ云う、“布を引き裂くような声”が必要だったんだよ....。(書籍『Anthology』抜粋参照)」。
ジョンは語ります、「最後の曲で死にそうになった。しばらく声が戻らなかった。何か飲むたびに、ヤスリをかけられているみたいでさ。ずっとあれが恥ずかしくてたならなかった。『もっとうまく歌えるのに』って思ってね。だけどもう気にならない。必死になって頑張ったのが伝わってくるだろう。ほとんど休みなしに12時間歌い続けた。“僕ら”は風邪をひいててね。それがどうなるか気になってた。一日が終わると、とにかく何パイントもミルクを飲みたいってことしか頭になかったね。あのLPのプレイバックを持っている間と云うのは、ほんと不安で仕方なかった。僕らは完全主義なんだよ。少しでの古臭く聴こえたら全部最初からやり直したくなるだろう。でも実際聴いてみたら凄く満足できた。(書籍『Anthology』抜粋参照)」。
そして、『Please Please Me』は、1963年3月22日にビートルズ・イギリス公式盤オリジナル・デビュー・アルバムとしてリリースされます。
ジョージは語ります、「アルバムのジャケット写真は、マンチェスター・スクエアのE.M.I.ビルのバルコニーから僕らが顔を覗かせてるのを撮ったのものだ。撮影者は"アンガス・マクビーン”で、僕はあの時着たスーツを今でも持っているよ。1990年に、あれを着てパーティーに行った。50年代の衣装を着て行くことになってたんだけど、ごまかして60年代のアレを着て行ったんだ。サイズがピッタリに見えただろうけど、実はズボンのウエストが締まらなかった。1969年にまたあそこに行って、“赤盤”と“青盤“のアルバムのために同じ写真を撮った。本当は『Let It Be』のジャケットにするつもりだったんだけどね。サイケデリックの時代まで、いやサイケデリックの時代になっても、E.M.I.はお役所みたいだった。エンジニアが全員しっかり訓練を受けてたのは確かだけどね。テープ・コピーから始まって、次にテープ・オペレーター、その次にデモ・セッションのアシスタントになる。様々な部署をすべて経験した後、ようやくでも・セッションのアシスタントにしてもらえる可能性が出てくるってこと。或いは、空いているエンジニアが居なくなった場合に、見習いが大抜擢されるかもしれない。ほんと、訓練は行き届いていたよ。だけど、1967になっても『職場ではスーツにネクタイ着用』なんて、ちょっと馬鹿げてるよね。とにかく、E.M.I.はエンジニアをきちんと訓練してた。だけどやっぱり・・・1967年になっても、まだスーツにネクタイで作業に入るのは、ちょっと間抜けだったよ。(書籍『Anthology』抜粋参照)」。